初レース。初ヒルクライム。チームで試合にいくなんて何年ぶりだろう。
中学生のとき剣道部の試合で、何台かの父兄の車に便乗して防具や竹刀を積み込んでいったときのようだ、と思い出した。
前輪を外して、サドルを外して、aquaを車に乗せて、集合場所で皆と合流して暗雲たちこめる伊吹山へ。
けれどなんとなく、きっとスタートまでに雨はあがるさという軽い気持ちがあった。
そしてそれは現実になった。
僕が子供のとき、自転車に乗り始めたときは後輪に補助が2つ付いていた。ある日
母親が片方の補助輪を勝手に取り外したとき、猛抗議した。何すんねん、と。
母親は、「こうしていかないと、一人前に乗れるようにならんでしょ」と、もがく僕を諭した。あきらめて、こける恐怖に立ち向かって乗った。
そのうちもう片方の補助輪もとれて、やっと二輪車になった。
あれから20年以上もたって、それでもフレッシュな気持ちで自転車に乗れることはすごいこと。ヘッド、ダウン、シート、そしてトップの4つのチューブに体を預けて11キロちょっとの登坂に挑んだ。
いくら登っても視界は雲とガスで真っ白。頭も真っ白。苦しいけれど、途中で同じWhooジャージを着た仲間たちが追い抜いていくのが見えた、みんな頑張っている。その姿が何より僕にとっての補助輪になった。あと600メートルと沿道の人が言う。本当かよ、こんなに長い600メートルなんてあるのかよ、と、もうダメだと思って根性のダンシング。
残り少し、さすがにもう立ち漕ぎも続かないと思ったとき、またWhooジャージが横をパスしていきながら「行くぞ!」と声をくれた。倒れそうな心にまた補助輪をくれた。
なんとか行った、ゴール線まで行った。
結果は情けないものだった。自分がいかに情けない姿で登っていたか、先にゴールして迎えてくれたチームのひとたちが教えてくれた。
「死にそうだぞ」 ええ、もう、いっぱいいっぱいです。
「トップチューブから口までが、ヨダレのチューブで連結されてるぞ」 ええ、もう頭が上がらないので補助チューブです。
僕のヨダレチューブが外れるまで、あと何回惨敗して、何キロ乗ればいいのだろう。
それまで、aquaのトップチューブにヨダレを流しつづけるだろう。
「もう一人前なんだから、ヨダレはやめなさい」と言ってもらえるまで。
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