[by ピラ] 2012.7.2
一昨日の夕方、自転車友達のひとりにばったり町で会う。少し前にトレイルで怪我をしたと聞いていたけど、その気配もなく、クロモリのMTBに跨がって、足を軽快に回している....私は最近、自分の原点とも言えるクロモリバイク(彼女もよく知っている)を再び厳しい現場に投入してるのだ、と彼女に説明した。
彼女はこたえて「あるよね、原点って」
加えて「自分の変化がわかるよね.....変わらないものも.....」
「そういうのって、いいよね」彼女の瞳に灯がともった。
O原の朝市への途上に通る橋のたもとの交差点。
交通量はまあ多いが信号はない。
ここでは自動車はかならず一旦停止をし、数台ずつ連なって、たてたてよこよこと交互に静かに通って行くのだった。ここでは自動車の礼儀に倣って、軽車両や交通弱者もやはり行儀がよくなるのであった。
そこでこの辻には何か喜ばしい気配がたゆたっている。
全ての信号のない辻と信号のある辻でいつもこのようであったらいいのに、と私はクリートを嵌めながら思う。
信号のある辻では、時に赤信号を突っ切って行く自動車が、自転車が、歩行者がいる。信号をきちんと守る横断者を圧迫する、車両や軽車両もある.....
あそこで見ている黄色いヘルメットとルック車のこどもが、悪習慣を学んでもいいというの?
360度大山脈パノラマにかこまれたK峯の頂上で、隣に座っていたS氏はとつぜん話し始めた。
このT村のK峯ハイキング(そして頂上の外来植物排除ボランティア)のために私はふもとの電車の駅まで輪行で来た。そこから25KM、カーボン車でも最初は苦労した村への道を登るのに、車重もギア比も思いクラシックなクロモリを投入した。このバイクと共有しているさまざまな思い出が蘇る。そして、この斜度と距離を思いのほか楽しく登れることにおどろく。ハイキングの間は、輪行袋に入れたバイクを、信号前の物産店の店主が快く預かってくれた(あらかじめ頼んで置いたのよ)。
「あの信号がT村内唯一の信号なのです。それは教育のためにも存在するのです。
いまどき、村を出て初めて信号機を見る、ということもないでしょうが、
こども達が信号が変わるのを待つ、待って横断歩道を渡るということを覚えるのが大切ことなのです」
いまだ村全体でこども達を教育するという心がどこかにあるらしい。村のこども達は信号を見るたびにそれを思い出すだろう。信号は親達のまなざしでもあるだろう。
私は、私の自転車人生を見守り後押ししてくれた、してくれている、多くの人々にあらためて思い至り、今日をあたらしい原点の日として記憶するだろうと思うのだった。
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